僕だけの天使は真夜中に微笑む

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 帰ってきた、というのはおかしいかもしれない。けれど、そう表現するのが一番、的確な気がする。
 帰ってきたんだ…ようやく。アイツの元に。本当の自分の姿で…


「…って言っても、まだ会えてねーんだよな」
 病室のベッドの上。患者用のガウンを着た新一は溜め息をついた。とはいえ、体の方は殆ど回復しているのだが、念のため長めに入院させられているのである。何も知らない彼女を心配させないためと、そして万が一、今までのようにまた幼児化してしまう可能性も否定できないと、灰原哀こと志保から釘を刺されているためだ。
 彼女はまだ元の姿に戻ってはいない。経過観察中、とかいって。
 この姿に戻ってからすでに5日ほどが経過しているのだから、もう安定していると思ってみてもいいのではないか。新一はそう考えていた。
 時刻は深夜だが、妙に目が冴えてしまって寝付けない。瞼を閉じると、思い出されるのは彼女のことばかりで…気を紛らわそうにも、消灯時間の過ぎた室内では本を読むこともできず、悶々としたまま、ただただ天井を眺めては肩を落とす。

 会いたい。今すぐ会いたい。会って…もう心配は要らない、と。ずっとそばにいる、と言ってやりたい。できることなら抱き締めたい。この手で…等身大の自分で。

 あーあ、病院抜け出しちまおうっかなぁ…けど今の時間じゃ驚かせるだろうし、迷惑だろうし、第一あっちはぐっすり眠ってるだろうしな…そんなことを思っていると。
 部屋の外に誰かが近付く気配がした。見回りだろうか。それにしては随分と慎重な歩き方である。
 まさか…
 自分を付け狙う奴らがまだ残っていないとも限らない。とりあえず布団にもぐって息を潜める。そろそろとドアが開いて、ペンライトの小さな光が新一のベッドを照らした。
 これはもしかするともしかするかもしれない…と身構えて。しかし聞こえて来たのは。

「…新一?」

 え?
 やけに聞き慣れた声。いや、聞き間違えるはずがない。――彼女の声を。
「蘭…?」
 ベッドから顔だけを出して仰ぎ見ると。そこには―――ナース服を着た、しかし確かに愛しい少女の顔で微笑む姿が、薄明かりに浮かんでいた。長い髪を纏め上げ、普段は隠れて見えないうなじが覗いているのも新鮮で…
 何、何?何のサービス!?
「おっ、オメー何でここに!?っつーか、何て恰好してんだよッ!!」
 こっちは嬉しいけどな、と心の中で付け加える。
「ごめん…聞いちゃった、新一が怪我して入院してるって。どうしても心配で…ちょっとだけ無理をきいてもらったの」
「聞いたって、誰から?」
「哀ちゃんよ」
 オイオイ…と新一は眉根を寄せた。
 自分には会いに行くなときつく言っておいて、結局本人に話してしまっているではないか。
 なぜかは知らないが、志保はどこか蘭に甘いところがあるような気がする。
「新一から『もうすぐ会いに行く』ってメールが来たあと連絡が取れないから、博士に相談しに行ったら…こっそり教えてくれたの」
 思い込んだら時々、大胆なことをやってのける所は、昔から変わっていない。しょうがない奴だなぁ…と思っても、いてもたってもいられなくて…と瞳を潤ませる顔は嫌いじゃないというか、むしろ…つくづく自分は彼女には弱い男だなぁと実感してしまう。
「…それはそうとして、その服…」
「あ、うん。これも哀ちゃんが…忍び込むなら変装した方がいいって。そしたら有希子おばさまが用意してくださって」
 ナイス母さん…!ってそうじゃなくて。絶対悪フザケだろ。どうせなら、こういうことはもっと体が万全なときに…とかアホなこと考えちまったじゃねーかッ。

「でも元気そうでよかった。それじゃ、帰るね」
「…は?」
 んな、アッサリ!?
 新一は間の抜けた声を上げる。
 今のコレって、感動の再会ってやつだよな?
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待っ…た!」
「まだ起き上がっちゃダメだよ。怪我、治ってないんだよね?」
 このカッコもちょっと恥ずかしいし、と言う蘭に。
 いやいやいや、そんな嬉しいサプライズ満点のコスプレしてやって来て、ものの数分で帰るとか!それはないだろ?せめてもっと明るい所で見たい…っていうか、死ぬほど目に焼き付けたいんだけど!!…と内心の暴走を抑えつつ、努めて冷静な顔つきで言う。
「全然、平気だっつーの」
「無理しないの!何日も面会謝絶になるくらい、ひどいんでしょ?」
 それは事情が事情なだけにわざと配慮してもらったものであって、実際は殆ど支障はない。怪我はしたが、今ではもう。体だって完全に元通りの『新一』になれたのだから。
「大丈夫だって。証拠、見せようか?」
 ガウンの前をはだけようとすると、蘭は慌てて後ろを向く。
「いいわよッ、もう!」
「遠慮すんなって。蘭だってオレに…」
 風呂でいいもん見せてくれた―――と言ってしまいそうになって、ヒヤリとする。全てが終わったことで気が緩んだのだろうか。
「わたしが…何?」
「いや、何でもねー…」
「ちょっと新一!」
 鬼気迫るものを感じて、新一はベッドの上で後退る。
「け、怪我人だぞ、オレ」
「さっきは大丈夫って言ったじゃない」
「だからってオメーの力技食らったら、入院が長引くだろ!」
 それにそんな至近距離でいい匂いさせないでくれ。しかもナース(以下略)
 色々な理由でうろたえる新一を見据え、黙っておこうと思ったんだけど、と小さく前置きした蘭は、はっきりした口調で言った。

「新一って、コナン君なんでしょ」


「…へ?」

 何でまたここでそう疑うのか。…どっからバレたんだ?
 その事実を隠していたのは、彼女を危険に巻き込まないためで。それが解決した今、正体を明かした所で問題はないのかもしれない。しかし―――子供として過ごした間に、どれほどおいしいシチュエーションを味わってきたことか。
 抱っことか添い寝とか、膝に乗せられちゃったりだとか。数え上げればきりがない。そして最大の難点は、今うっかり話題にしそうになった『お風呂場でのムフフ♥』である。
 やむにやまれぬ事情があったとはいえ、彼女を欺いていたことに変わりはない。意図的でないにしろ結局。

『その麗しい裸体をばっちり拝ませて頂きました』

 …だなどとは口が裂けても言えない。

 これまでも何度か正体を勘ぐられた事があって、そのときは『コナン』と風呂に入ることすら難色を示していたくらいだ。きっとこれは内緒にしておいた方がいい。
 全てを洗いざらい正直に白状すれば、拳の2、3発で許してくれるかもしれないが。それでも彼女の心情を考えると…
 今となっては確かめる術もないわけだし、ここはしらを切り通すしかない。
「ンな訳ねーだろ?人が伸びたり縮んだりするかよ」
「嘘おっしゃい!」
 ぴしゃりと言って、真っ直ぐに見つめる。
 …あ、これまずい。蘭が絶対的な確信を持って追及するときの目だ。

「服部君と哀ちゃんから聞いて、知ってるんだから」

 オイィィィ!!そんな重要なこと、本人より先に承諾もなしにバラすんじゃねぇぇ!!!
「や、だから…それはだなァ!オレにだって色々と…」
「分かってるわよ」
「え?」
「新一だって大変だったんだってことも聞いた。だから、それを責めるつもりはないの。ただ…」
 うってかわって柔和な口調で言って、ベッドから降りると、少し離れた所で背を向ける。

「忘れて、くれない?その…お風呂で見たこと」
「・・・・・はぁ!?」

 忘れろったって、無理な話である。多分、死ぬまで一生…いや、死んでも忘れないだろうし。それに、できることなら上書きしていきたいのだが…というのは先の話であっても。
「嫌だ。…っつったら?」
「お願い!でないとわたし、新一の顔も…まともに見れないかも」
 さっきまでがっつり見てたじゃないか、と半ば呆れ顔で。
「蘭、こっち向け」
「やだ!」
「蘭!」
「新一が忘れてくれるまで見れないッ!」
「あのなァ…聞けよッ!」
 ベッドから跳ね起きて腕を掴むと、強引にこちらを向かせる。
 大きな瞳が不安定に揺れ動いて、今にも溢れ出しそうな雫が目尻に煌めいていて。
 う、わっ!泣くな、泣かないでくれッ!そんな顔されたら困る。しかもナース姿で(何度言わせるんだ)
「な、なに泣きそうになってんだよ…こんなことぐれーで」
「だって…」
「そんなに嫌か?オレに…その、見られたことが」
「嫌じゃない!…けど、でも」
「何だよ」
「恥ずかしいぃぃ…ッ」
 何だよ、ソレは。乙女心ってやつなのか?
 あんなに素晴らしいプロポーションなのだから、もっと自信を持ってもいいと思うのだが。そういう問題ではないのだろう、きっと。

「ロンドンで言ったこと、覚えてるよな?」
「あっ、当たり前じゃない!忘れる訳ないでしょ」
 その言葉に少しホッとする。
「どこの世界に惚れた女の裸を忘れられる奴がいんだよ?それこそ穴が開くほど眺め回したいっつーのに…」
 …やべー、そこまで言ったら引かれるか?と思ったが、蘭は新一の言葉の先をおとなしく待っていた。
「コナンがオレだなんて言えねー手前、さ。そんなまじまじ見んのも悪ぃだろ?けっこう我慢してたってワケ。そんで、チラッとしか見てねーから安心しろって」
 嘘だけど。
「…本当?」
 おずおず訊いてくる声に、ニッと笑ってやる。
「ああ。オレだって男だから、好きな奴の…何つーか、そういうのに興味があることだけは許してくれよな。…OK?」
「う、…うん」
 腕から離した手で彼女の手を包み込む。その上からもう一方の手を重ねてくるから、更に自分の片方の手を合わせた。
「…えー、とそれで」
「あ…うん」
「それで、だから…」
 今度じっくり見せて?じゃねーよな。
「だ、だから…?」
 ここまできたら、何を言いたいのかくらい察しがつくと思うのだが。相変わらずの鈍さ加減で、蘭は可愛らしい顔を斜めに傾けている。
 ああ、そう。曖昧な言葉じゃ信用してくれねーんだよな…

「蘭」
 ジリジリと間合いを詰めて、逃げられないように。壁に手をつく形で、両腕の間に閉じ込めた。
「好きなんだよ」
「…な、ナース服が…とか?」
「だぁーっ、違うッ!…わなくもないけど、今はナシ!」
「…わなくもない??」
 さっきから再三言ってやってるのに、まだ足りないか。
 赤い顔をギリギリまで近付けて、暗い中でもよく見えるように、鼻先をくっつける。
「し、新…っ」
「きちんと言うから、ちゃんと聞いてろよ」
 冷静に考えたらこっぱずかしい状況だが、勢いって大事だよな、とか思ってみたりする。
「好きだ、蘭。オメーのことがずっと…ずっと好きだった。だから必死でここに…『工藤新一』として戻ってきたんだ」
 コナンのまま、そばにいるのは辛かったよ。新一として隣に立ちたかった。ちゃんと”オレ”を見て欲しかった。もう嘘などつかないから。
「会いたくてたまらなかった」
 そう言うと、やっぱりと思ったけれど蘭は泣いてしまった。

「ズルイよ…それ、わたしのセリフじゃない」
「…ごめんな」
「新一は、全部分かってたんじゃない…コナン君になって、わたしのこといつも見てきて…でもわたしは、何も知らなかったんだよ?会いたくて会いたくて…どうかなりそうだったんだからッ!」
「しゃーねーだろ?あの時は…」
 こうするしかなかったのだ。全ては彼女を思うが故、だったのだから。

「もう、何なのよ…バカぁ…っ」
「わ、悪かったって。けど、オレにとってオメーは…命に代えてでも、守り抜きてーほど大事なもんなんだ」
「すぐそうやって恰好つける!推理バカのくせに…っ」
 ついには新一の胸にしがみ付いて、ワンワン泣き出す蘭の肩を抱き、宥めるように名前を呼んで、耳元に唇を寄せた。
 肝心なことを、まだ聞いていない。
 ずっと聞きたかった。新一として、直接。彼女の口から。

「…で、返事をもらえませんか」
「な、何…の?」
「もういっぺん言わせてーのか」
 軽く睨んでやると、さすがに思い至ったようで、小さく肩を竦ませる。
「そんなの…わたしだって、好きに決まってるじゃない…バカ」
 バカは余計だ。しかもそんな膨れっ面のまま言うやつがあるか。
「気に入らねー言い方だな」
「好き。スキスキスキ、だぁーい好き!だから…」
 掴んだ新一のガウンを更にしわくちゃにさせて、唇を尖らせる。
「もう、こんなことしないで」
「ああ」
「約束してッ」
「分ぁーってるよ」
「絶対の絶対だからねッ!?」
「もう二度としません、ごめんなさい」
 そこまで言ってやると気が済んだようで、ようやく泣き止んで花のように笑う。
「分かればよろしい」

 にっこりとおどけて言う顔が、とてもとても可愛くて。途端に、このまま帰すのが惜しくなってしまった。せっかく、お互いの気持ちも確かめ合えたことだし。
「なァ、蘭。オレ…まだ体、痛むんだけど」
「えッ、ど…どこ?大丈夫!?」
 あたふたと腕などをさすってみたりする彼女に、これまで出したこともないような声音で甘く囁く。
「オメーが添い寝してくれたら、楽になると思うんだけどなぁ…」

 はた、と動きを止めて、その意味に気付いた蘭は、新一の表情を仰ぎ見た。いつも自分をからかうときの意地悪な微笑み。真剣に心配した自分がバカだった。
「なっ、何考えてんのよッ!」
「いーじゃねーか、へるもんじゃねーんだし。それに、コナンだったときに、してくれたよな?」
「あの時は、コナン君が新一だなんて思ってもみなかったわよッ」


 結局。そんな軽口叩けるくらいなら心配いらないわね、と冷ややかに言われて逃げられてしまった。
 あーあ、残念。
 別にどうこうするつもりはなかった。もう少し、その愛らしい姿を見ていたかっただけなのに…



 そして、まだ…眠れない夜は明けそうにない。




 END



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あとがき。

帰ってきた(?)新一話…って普通シリアスでやるだろ。妙におバカな話になってしまった…
それは、是非とも蘭にナースコスを!!という私の願望を具現化させちまったからでしょうね(オイ)

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