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甘えんぼ ---------------------------------- 「もういいッ、行って来なよ。わたしは一人でも平気。大丈夫なんだから…」 ぷくっと膨らませたほっぺたに、尖らせた形のよい唇。 そのどちらも怒っているのに色っぽく見えて、触れさせようと屈んで近づけた顔を抱きかかえたクッションで遮られる。 「いいから早く行け!この推理オタクッ」 そのままクッション越しに言われて、新一は困ったように苦笑した。 「出掛ける前に可愛い顔見てーんだけど」 「やだもん。そんなに見たけりゃ、早く帰ってきなさいよねッ」 「ちぇっ。あー、はいはい」 声と気配が遠ざかって、パタンと扉の開閉する音が小さく聞こえて。ようやく蘭は、柔らかな重圧からそっと顔を覗かせた。 「はぁ、あーあ…」 結局、後ろ姿すら見送ってやれなかった。 苛立ちは、恋人を置いて行ってしまう彼へばかりではない。 止められない不安と、それをひねくれた形で表してしまう態度と、素直になれない自分自身に、自己嫌悪。もう少し、言い方とか。可愛い拗ね方とか、あるだろうに。 いつも目にするのは、弱ったような、眉をへに字に下げた新一のどうしようもないなァ…という表情。 だって心配なんだもん。体のこととか、危険な目に遭わないか、とかそれもあるけれど。 一番は…もう消えたりしないで。突然、いなくなったりしないで。ちゃんと帰ってきて欲しい。 これって贅沢な悩みなのかな。今まで毎日のように会えていたから、急に姿が見れなくなっただけで動揺して、そのことがとても怖い。そばにいることに慣れすぎてて…でも。 そんなにわたしは、強くはないんだよ…? 本当は。一人でいるのは平気じゃない。今までだって、こんなことはなかった。 寄り添ってくれる小さな存在がいたから。 だから、気丈に振舞えていたのに… 彼の存在感が残った広い屋敷で、彼のことを想いながら、うとうととする浅い転寝は、どこか空虚で寒々しくて。冷たい風が吹き始めた窓の外の景色と、そして自分の心を反映しているかのよう。 夢の中でまで彼を待っていて。それがとても悲しくて。 もしかして、あの日。戻ってきた姿も、こうしている今こそ。 夢なんじゃないのかと思えてしまって・・・・・ あ、何だかあったかい… 肌寒い空気に青白くなった手足を、ほどよい温度の血が巡っていく感覚で目が覚めた。 包まれている気がして顔を上げると、肩に掛かったものが、するりと背後に落ちた。 それは、ふんわりとした肌触りのセーターで、編み目のひとつひとつに懐かしい記憶が甦る。…忘れるはずがない。いつか自分の編んだものだ。彼のために、そして彼にプレゼントした… 思わず口元を綻ばせ、手に取って眺めていると。 「眠り姫のお目覚めかな」 耳に心地好い声が響いた。 もう帰ってきたの?と少し驚いた風に瞼を瞬かせて。 「何よう、眠り姫って」 気障な物言いの中にも皮肉が含まれているように感じられて、蘭は抗議の目を向けた。 だってよ、と前置きして。 「オメーの、一度眠ったらずっと寝てられる体質はすげぇな。チューしても何しても起きねーんだもん」 「し、したって、何をッ!?」 「ウッソ!冗談だよ」 チューだけはしたけど、と少し意地悪く笑って、コーヒーのカップを差し出しながら、新一は隣に腰掛ける。 「カフェオレの方がいいな」と注文を出すと、全くお子様だな、なんてからかうから。好みの問題でしょう?と軽く睨んで、渡されたままの香ばしい苦味を一口すする。 体の内側に広がる温かさにほっとしていたら、自分を見つめるその目がひどく優しげなことに気付いた。 「な、何?」 「言ったろ、オメーのその顔が見たかったんだって」 「もう、調子のいいこと言って…」 待っている時に眠ってしまっていたので、それほど分からなかったが、いつの間にか外は薄暗いし、部屋の中もひんやりしていて、今になって時間の経過が感じられた。 それでもきちんと帰ってきてくれたから、そのことには目を瞑ろう。 「ンな薄着で寝てたら風引くぞ。それ、着てろよ。すげーあったけぇから」 無意識に引き上げたセーターに目を留めて、自慢げに言うのがおかしくて。 「そりゃあ、わたしの想いがこもってるんだからね」 クスクス笑って、言われるままに袖を通した。 自分で言うのもなんだけれど、本当に暖かい。 冷え切っていた体の奥底までもじんわりと沁みて、寂しさだとか心細さだとか、そんなものが溶かされて消え去っていくよう。 「…なんか、新一の匂いがする」 気恥ずかしさに照れながら、何気なく呟いたら。 「ああ、さっきまで着てたからな」 「え、いつ?」 「出掛けるとき。外、風強かったしさ」 「そうなんだ…」 嬉しい。身につけていてくれたことが。離れていても、そんなことで繋がり合えているような… 平次と和葉の間にある、『お守り』のようなものだろうか。 「なんだ。新一が着ているとこ、見たかったな」 電話でお礼を貰ったとき、サイズは大丈夫だった?と訊くと。バッチリ!測ったみてーにピッタリだったぜ、なんて言ってくれたけれど。まだ実際には確かめていない。 少しぶかぶかで大きい袖口を引っ張って、残念そうに言う。 そんな蘭の姿を見て。最初に受け取ったときには、今の彼女よりずっとだぼだぼだったのを無理して着てたな、と思い起こされて、胸が痛くなるやら熱くなるやらで。 たまらず抱き寄せて、その温もりを腕の中に閉じ込めた。 「ちょっと、こぼれるじゃないッ」 ちょうどカップを手にしていた所で、急に行動に移してしまったことを少し反省する。 「ワリィ。…でも、この方があったまるだろ?」 今は蘭の匂いのするセーターを引き寄せて、しっかりと腕を回して。 「何かオレも…それ脱いだら、やっぱ寒ィわ」 「人を湯たんぽみたいに…」 呆れた口調で言ってみるけれど。そんな風に柔らかく微笑んで囁かれたら。 それだけでもう、こんなにゴキゲンになってしまう自分も単純かも…と思ってみたり。 まっすぐで、夢中で、一直線なその姿が、キラキラした眩しい顔が、本当は大好きなんだけれど。分かっているけれど。分かっているけど分かってやれないフリ。 そんな簡単には、許してあげないんだからね。 だから、もっと強く。何度だって、こうして。ちゃんと帰ってきて。 …抱き締めに来てよね。 「ねぇ、新一」 不意に声を掛けたら、うっすら閉じていた目を開ける。 「もっとあっためてあげようか」 「え?」 なぜか一瞬、目元を緩ませるので、「バカ、違う!」と軽くおでこをはたいて、両腕の拘束を解かせ、彼の膝の上に横座りして、その首に自分の腕を回した。 今度は自分が、彼を暖めてあげる番。 「どぉ、あったかいでしょ?」 「…ああ、メチャクチャあったけぇ」 新一は心の底から言って、蘭の背中を両手で支え、その肩に額を乗せて目を閉じる。 彼女さえいれば、どんなに凍える夜でもへっちゃらだろう、と本気で思える。 「ごめんね、わたし…可愛くないことばっか言って」 「そんなことねーよ」 そう言う声が、すでに可愛くて仕方がないのに。 「子供みたいなことして…ごめん。新一には新一のやりたいこととか、考え方とかあるのにね。わたしの都合のいいように思っちゃってたのかも」 いじらしく笑う蘭は、しかし泣きそうな表情をしていた。何度か…新一ではない自分でいたときに、見てきた顔だ。あのときの自分は、慰めることしかできなかったけど。 「新一がいないと…不安で不安で、たまらなくなって…会えないとイライラして、我が儘言ったりして。本当は平気なんかじゃないのに。自分でも嫌になっちゃう…」 「バーロ。オレも同じだっつの」 「へ?」 少し瞳を潤ませ、目尻を赤くした蘭が、不思議そうに新一を見つめる。 「オメーを悲しませといて言える事じゃねーけど。オレだってずっと蘭に会いたかったし、心配で仕方ねーときだって何度もあったよ」 彼女が恐れている忌まわしい想像は、そっくりそのまま新一にとっての悪夢でもある。 もう二度と、あんなこと起こって欲しくはない。 それに、もし。今度は彼女の方が、自分の目の前から消えてしまうなんてことがあったら―――? 自分ではなくて、彼女がどこか遠い所へ行ってしまわないだろうか。時々、そんなことを考えてしまうことがある。 身勝手な自分に、いつかそんな天罰が下るんじゃないだろうか、と。 「オレも平気じゃねーよ。帰ってきて、オメーがいて…声を聞いて言葉を交わして、触れて…やっと安心するんだ。こうやって甘えてーのはオレの方なんだよ」 愛しい存在を確かめるように、再び腕に力を込めて。細く、明かりの下では栗色に光る天使の髪を指に巻きつけて、くるくると遊びながら、新一は照れ臭そうに告げる。 「いいよ?甘えてくれて」 フワリとした音色で言って、蘭は新一の胸に深く顔を埋めた。 「だから。蘭も遠慮しねーで甘えてくれていいからな。その方がオレも嬉しいし」 「…うん、ありがと」 しばらくそっと黙って身を寄せ合っていると、規則正しいリズムで胸を打つ鼓動が伝わってきて、その体を抱く腕に自然と愛しさが募る。 何だかまだ、放したくない気分。ちょっぴりお腹も減ってはいるが、その前に少しだけ。 別の意味で甘えたいなぁ、なんて思って。 「・・・・・蘭」 呼びかけるが、彼女は新一にしがみついた格好のまま。 ちょうど首筋に近い位置で感じる呼吸が、やけにゆっくりしている。 おいおい、まさか…さっきまであれほどぐっすり寝ていたのに、またですか!? 呆れ顔で、しかたなくその髪を優しく撫で。 そのかわり、今夜は寝かさねぇからな、などと心の中で呟いて。誘われるような眠気に、そっと目を閉じた。 END -------------------- あとがき。 何だかちょっと、こっぱずかしい話を書いてしまった…途中で何度、嫌になったことか… 眠り姫とか何なんだ(自分で書いといて) |
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