スーパーマン

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 今日は何だか、ずっと落ち着かない。
 それもそのはず、今そこに、彼がいるからだ。
 ようやく帰ってきて、そしてもうどこへも行かない、と宣言した…彼が。


 この数日間は、眠れない夜を過ごした。目を閉じたら…全て夢になっていそうで怖かった。
 だから早くに起きてしまって、いてもたってもいられなくて、まだ寝ているであろう時間に彼の自宅へ向かってしまって。迷惑だろうとかお構いなしに呼び鈴を鳴らしては、その存在を確認してホッとしていた。
 学校での彼は相変わらずで、まるで何事もなかったかのように…突然、姿を消したことなんて嘘みたいに、以前と同じように。それが日常なのだ、と思わせるように。
 もしかして、逆にこの間までのことは長い悪夢だったのではないかという気さえしてきた。
 それでも―――
 明日になれば、また。フッといなくなってしまわないか不安で、たまらなくて。
 そんな顔をずっとしていたらしい蘭に、それなら、と新一がこう切り出してきた。

 今度の休みは、二人でずっと一緒に過ごそう、と。

 変な意味じゃないでしょうね?と訊くと、バーロ、余計な心配すんじゃねーよッ!と笑われてしまった。


 そんな訳で蘭は今、新一と工藤家のリビングでのんびり座って寛いでいるところなのだが。
 改めて二人きりで、という状況に、正直、心持ち緊張を隠せないでいる。
 以前までは珍しいことでもなかったし、何ということもなかった。もっと自然で何気なくいられたはずなのに…
 どんな話してたっけ…どんな風に過ごしていたっけ…そんなことが急に思い出せなくなったみたいで。
「休学中のノート、コピーして持ってきてあげたからね」とか、「コナン君、元気にしてるかな?」とか、ぽつりぽつりと話しかけることしか出来なくて。それに対する新一の返事も、「ああ」だの「さぁなー」だの、自分で誘ってきた割には、あまりそっけもないもので会話も続かないし。
 あの、ロンドンでの告白以来、二人の間の空気が微妙に変わった、ということもあるのかもしれないけれど…

 それと、もうひとつ。蘭には気になることがある。
 ここのところ、新一を呼び出す事件が全くと言っていいほど、無い。舞い込むことも、巻き込まれることも。
 喜ばしいことなのだろうが、これまで当たり前のようにあったことが当たり前でなくなるのは、何とも奇妙に感じられるものだ。
 どことなく引っかかるものを抱えた心の内を知ってか知らずか。ソファの背に凭れて目の前をぼんやりと眺めている新一に、蘭は所在なさげに俯いて、チラチラと視線を送る。



 ここに辿り着くまでに、どれほどのハードルを飛び越えてきただろう。
 それは、今までそっと胸に秘めてきた幼馴染への想いを募らせるのに充分なほど長く、苦しくて。
 伝えたい気持ちとは裏腹に、残酷な現実。戻れない不安もあった。彼女を巻き込むかもしれない、危険な目に遭わせたくない、だけど止められない葛藤もあった。
 けれど、やっとのことで帰ってこれたのだ。元の自分に。彼女の一番近くの存在に。
 何が一番大事か、大切にすべきか。嫌というほど身に沁みて思い知らされた。
 事件とあらば、四六時中いついかなるときでも。解き明かしたい衝動を最優先させてきた、これまでの自分。愛しい人すらも放って。いつもそこにいるものだ、と高を括って。
 けれど、今度ばかりは…今だけは。
 彼女の傍にいてやらなければならないんだ。

 元に戻った直後、事情を知る周りの者達から口々に説き伏せられ、警察関係者には、しばらく事件の連絡をさせないよう手を回され、そういうこともあって――言われるまでもなくそうしただろうけど――久々に、彼女との穏やかな時間を持てることとなった。

「姉ちゃんの気持ちも、ちっとは考えたれよ」
 などと、関西の名探偵に忠告されたときには、オメーに言われたくねーよ、とは思ったが。
 実際、このところの蘭の様子は痛いほど切なく映って、よほど辛い思いをさせていたんだな、という反省と罪悪感。
 今もどこかで事件が起こっていると思うと、抑え切れない気持ちに駆られてしまうのも、正直な所。それを、どうにかこうにか封じ込めて、自分に言い聞かせる。

 ヒーローにだって、休息は必要だよな。


 ようやく、工藤新一として彼女の隣に立てたんだ。せっかくだから、小さな体のときにはできなかったことをしてみたい。
 …といっても、あまり下世話な想像はしないように。
「蘭」
「え、あっ…な、何?」
 不意に呼びかけられて、思わず声を詰まらせてしまうが、新一は気にも留めずに「こっち」と手招きして、蘭を近くに引き寄せる。そのまま彼女の肩に、そして背中に手を回して、自分の腕の中に抱き込んだ。
「し、新一ッ?何よ、いきなり…」
「いーから黙っておとなしくしてろって」
 『コナン』でいた時、涙に濡れる彼女の姿を目にして、何度こうしたいと思ったことだろう。ずっと叶わなかったことが、今はこんなに簡単に出来る。本当は、もっと早くにしてやれたかもしれない。そう考えると、惜しいことをしたかな、と思う。自分に正直になることがこんなに簡単だったなんて、過去の自分に教えてやりたいくらいだ。

 一方の蘭は、しぶしぶというか頬を染めながらも照れ隠しに口をキュッと引き結んで、言われた通りにじっとしているものの、内心は気が気じゃない。
 こういういい雰囲気のときに限って、新一を連れ去る携帯の音(に限らず)が鳴り響くのが、いつものパターン。
 しかし、今日は…?
 不思議なほどの静けさで、聴こえてくるのは自分の、少し速くなった心臓の音だけ。
 妙に可笑しくなってしまって、フフッと笑う声を拾って、新一が僅かに力を緩める。
「変なの」
「何が?」
「新一といるのに、事件が起こらないなんて」
 そう言うと、あのなァ…と呆れた口調の声が降ってきて、腕を掴まれ、目と目が合う距離に体をずらされた。

「オレが我慢してんのに、オメーが気にしてどうすんだよ」
「そ、そうなの…?」
 余計なことを言ってしまったかな、と不安になる蘭に、新一の表情は柄にもなく優しくて。
「もう大丈夫ってことか?」
「…はぁ?」
「だから。オレのこと信じられるようになったか、って」
「そんなの、もう前から…」
「じゃ、なくて…さ」
 時々、この男の言うことはパズルのように謎めいていて、蘭の頭を混乱させる。


「どこにも行かねーっつったろ?」



 ずっと自分の影を追い求めているかのような、ひたむきな彼女の姿は頼りなかった。
 芯の強さは知っているけれど、脆い部分だってある。何より、自分がそうさせてしまったこと。全身全霊、全力で、その心の茨を拭い去ってやりたい。
 今それが出来るのも、他でもない自分だけなのだから。
「オメーがちゃんと納得できるまで…安心できるようになるまで、そばにいてやっから」
「あ…」
 蘭の新一を映す瞳が潤んで、間近で真っ直ぐに向けられた顔が、ぼやけて見える。
 どうしよう、また泣いてしまいそうだ。やっと笑えるようになったのに。
「それとも、もう平気か?」
「…う、ううん、やっぱり…まだ、ダメ…かも」
「だろ?」
 そんな風に微笑まないで。その温もりに、甘えてしまいたくなる。
 涙が溢れるのを止められず、代わりに彼の胸に顔を埋めてしがみ付いた。
「お、ねが…もうっ、いなくならないで…!急にどっか、行っちゃうとか…ヤダよ、新一っ!」
 まるで子供だ、と思った。情けない。いつから、こんなに弱くなってしまったのだろう。
 彼の望む生き方に、背中を押せる存在でいたいのに。彼の前では、弱気な顔を見せないでいようと思うのに…
 しゃくり上げる蘭に新一は。ああ、とか分かった分かった、なんて囁くように宥めるけれど。どこまで本気かは疑わしい。
「これだけは言っておくからな」
 小刻みに震える体をそっと抱き締め、背中を軽くぽんぽんと叩く。
「何があっても、必ず帰ってくる。それだけは約束する。…そりゃあ、どっかで事件があったらまた飛び出しちまうだろうし、家でおとなしくしてるなんてできそうにねー。その度にオメーに心配かけちまうだろうけど…でも」
 蘭の嗚咽はどうにか収まって、微かに上下する肩に手を置いて。
「絶対に、蘭の所まで…帰ってくるから」


「…うん」
 ごしごしと赤くなった目尻をこすりながら、ささやかに笑ってみせる。
「分かってるわよ、新一が…推理なしじゃいられない大バカ推理之介だってことは」
 付き合い長いからね、と言ったその表情は幾らかさっぱりとしていて、新一を安堵させる。
 しかし、どこかで聞いた揶揄だな、とは口に出さずにおいた。
「っていうか、そうじゃない新一って…ヘンだもの。すっごくヘン!」
「やっぱそうかァ?」
「新一じゃないみたい」
「まぁ、ごもっともで」
「わたしの好きになった新一は、そういう人…だから」
 何ちゅう殺し文句だ。その笑顔も反則。このまま、襲いたくなっちまうだろーが。
 思春期男子の複雑な心模様などきっと知らないだろう。恥ずかしそうに言って身を寄せる幼馴染で想い人を、しばらく離せそうにないな、と声には出さず独りごちる。


 守りたいのは、君のいるこの世界。



 END



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あとがき。

SSの「CAN'T STOP LOVE ♥♥」で新一が事件に首を突っ込んでいなかった裏にはこのような事情がありました、という話。あのあとって感じかなぁ…時系列はあやふやにしときたかったけど、蘭にあんなこと言わせちゃったよ(汗)
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